JapanPrize歴代受賞者による社会貢献

私たちの生活を大きく変えた技術を生み出したJAPAN PRIZE受賞者

情報・通信

1876年にグラハム・ベルが電話機の特許を取得してから百数十年。現在では、世界のほとんどの地域でインターネットが利用でき、必要な人といつでも会話や情報のやりとりができるようになりました。こうした「情報化社会」の実現には、通信衛星や海底ケーブルを利用して大量の情報を送受信する技術や、通信の信頼性と効率を高める技術が不可欠でした。JAPAN PRIZEでは、こうした「通信の革命」をもたらした科学者・技術者が受賞しています。

数学・コンピューターサイエンス

現代では、銀行の預貯金の管理から交通機関の運行管理まで、社会の隅々でコンピューターが活用されています。そして今も、コンピューターサイエンスは、革新的な進歩を続けています。コンピューターが人と同じように考え、判断できる人工知能の研究が進められているほか、応用数学を利用しコンピューター通信における間違いを限りなくゼロにする技術、ロボットが人と共存する社会を実現する技術など、JAPAN PRIZEの受賞者は、常に新たな技術に挑戦し続けてきました。

半導体・電子デバイス

戦後、私たちの生活を便利で豊かなものに変えたのは、テレビ、生活家電、コンピューター、スマートフォンなど、さまざまなエレクトロニクス製品です。そして、こうした製品の実現には、半導体の性能を飛躍的高める技術、情報を高密度で記録する技術、通信の可能性を広げるレーザー光の実現など、たくさんのブレークスルーがありました。現代を切り開いた画期的な技術の開発に携わった科学者・技術者がJAPAN PRIZEを受賞しています。

化学・新材料

現代社会の発展は、産業革命以前には知られていなかった物質、存在しなかった物質によって支えられているといっても過言ではありません。有機合成化学の進歩は、化学繊維・電子材料など優れた新材料を次々と生み出したほか、新たな医薬品の誕生にも大きく貢献しました。また、物質の結晶構造に注目したアモルファス材料の発見は、金属材料に新たな可能性をもたらしました。こうした新たな素材の誕生に貢献した科学者・技術者がJAPAN PRIZEを受賞しています。

医学・生命科学

「いつまでも健康で長生きしたい」という人々の願いに、JAPAN PRIZEを受賞した科学者・技術者たちは挑戦してきました。がんの原因に関する基本概念の確立、人工臓器の開発、天然痘根絶やHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の発見、病気の早期発見につながる画像診断装置の発明、脳の病気の発症メカニズム解明、分子標的薬という新たな抗がん剤の開発など、テーマはさまざまですが、受賞者の業績をきっかけに研究開発は加速し、現代医療の発展につながりました。

生物資源

戦後、発展途上国を中心として人口の拡大が続き、深刻な食糧問題が生じました。科学技術への期待は「病気に強く、収穫量の多い品種の開発」や「健康な家畜を効率よく繁殖する技術の開発」であり、JAPAN PRIZEの受賞者たちも、熱帯・亜熱帯向けのイネの多収穫品種の開発や家畜の凍結精子による人工授精などに取り組みました。その結果、農業の生産性は大幅に向上しましたが、現在では海洋における漁業資源の涸渇という問題も浮上しています。

地球環境・エネルギー

地球は、私たち人類にとっての「ゆりかご」であるともに、時には自然災害をもたらし多くの人の命を奪う存在でもあります。例えば「地震はなぜ起こるのか」という人類の疑問にJAPAN PRIZE受賞者たちは答を出そうと挑戦し続けてきました。また、フロンガスによるオゾン層破壊のメカニズムの解明、熱帯林の保全、持続可能社会への提言、水災害を防ぐための新たな河川工学の提案など、JAPAN PRIZEの受賞者は常に新たな視点を私たちにもたらしています。

途上国の発展に欠かせない
食糧増産をイネの品種改良で実現

1987年(第3回)JAPAN PRIZE

ヘンリー・M・ビーチェル博士(アメリカ)/左

国際稲研究所 稲育種部 前部長
ファーム・オブ・テキサス・カンパニー 顧問

グルデブ・S・クッシュ博士(インド)/右

国際稲研究所 稲育種部 部長

ヘンリー・M・ビーチェル博士(アメリカ)グルデブ・S・クッシュ博士(インド)

1960年代、発展途上国などの人口増大がもたらす食糧不足を解消するために、コムギやイネの品種改良や化学肥料導入などによる生産性向上が図られたことを「緑の革命」といいます。ビーチェル博士は、アジアにおける主要作物であるイネの改良に取り組み、「IR8」という画期的な品種の開発に成功。アジアにおけるイネの生産量を高めました。

1950年代、アジアに都市部が発達し食糧事情が逼迫(ひっぱく)していました。そこで1960年にフィリピンに国際稲研究所(IRRI)が設立されました。設立当初からイネの品種改良を指導してきたビーチェル博士は、他地域から高収量品種を導入しても、アジアでは洪水、病害虫などの影響を受けやすく思い通りの成果が上げられないことに気づきました。そして、洪水に耐えるような背の低い品種と高収量の品種を交配させ続け、1966年にアジアに適した「IR8」を生み出しました。

IR8の導入でアジアのイネの収穫量は飛躍的に伸びましたが、病害虫にやや弱く、コメの品質も少し劣ることが分かってきました。そこでビーチェル博士の後継者であるクッシュ博士は、IR8のさらなる改良に取り組み「IR20」「IR26」などを生み出しました。そして1982年に作り出された「IR36」は世界のあらゆる穀物のなかで、もっとも広く栽培される品種となりました。

イラスト

アジアとアフリカの水稲の反収推移

イラスト

タイムライン

1987年(第3回)JAPAN PRIZE

より詳しくはこちら

ページトップへ